童話

『ちーちゃん先生とありんこ』

「ちーちゃん先生、さようなら」
「はーぃ、さようなら」

 暑さの残る初秋の昼下がり。プリントを整理して今日の日誌をまとめて、ちーちゃん先生の仕事がやっと終わります。

 時計は午後5時を回っています。ちーちゃん先生は慌てて帰りの仕度を始めました。
「おやおや千里(ちさと)先生、今日は早いお帰りだね」
 学年主任の熊田先生です。ちーちゃん先生にとってはお兄さんのような先生で、子どもたちからはクマ吉(きち)先生と呼ばれています。
「えへへ、ちょっとお買い物。お先に失礼しまーす」

 ちーちゃん先生は商店街が大好きです。授業の準備やプリントづくり、ほかにも小学校の先生の仕事はたくさんあるけれど、3年目になったちーちゃん先生はときどき早く帰るように工夫して、きらきらワクワクのひとときを楽しむことにしています。

 お店のショウ・ウインドウにはすてきな小物たちがきらきらと並んでいます。まるでちーちゃん先生に「おいで、おいで」と声をかけているようです。ほんの少しの時間だけれど、ちーちゃん先生をとても幸せな気持ちにしてくれます。

「さてさて、あんまり遅くならないうちに夕ごはんの仕度もしなくちゃ」

 ウインドウ・ショッピングを楽しんだあと、ちーちゃん先生はいつものスーパーに向かいました。
 すると、どこからかとてもおいしそうな匂いがしてきます。見ると、ブロックべいの向こうにおいしそうな焼きたてパンのお店がありました。

 香ばしい焼きたてパンのすてきな匂い。

 ちーちゃん先生は思いきってスカートのすそをうんと持ち上げ、ブロックべいをひょいっと飛び越えました。近くを歩いていたおじさんがびっくりして目を丸くしています。
「えへへっ。失礼しまーす」
 ちーちゃん先生はペロリと舌を出し、くるりと回ってパン屋さんに向かいました。

 店先にはふっくら大きなメロンパンの絵が飾ってあります。奥のほうでは店員さんが、それはそれはていねいにパンの生地をこねています。そうして、ショウ・ウインドウの中には焼き上がったばかりのパンがところせましと並んで、ちーちゃん先生を待っています。
(おいしいよ、おひとついかが?)
 大きくふくらんだメロンパンが甘い声でちーちゃん先生に話しかけているようです。
「えへへ。おひとつ、ちょうだいな」
(えへへ。ありがと、まいどあり!)

 出来あがったばかりのメロンパンは甘くてとってもおいしそう。ひとくちつまんで、ぱくり。もひとつつまんで、ぱっくぱく。サックリした表面とふんわりもちもち生地のやさしい甘さは一度に食べるのがもったいないほど。

 ちーちゃん先生は夜のおやつのお楽しみに、メロンパンを大切に大切に紙の袋に包んで買い物かごに入れました。

 それから、ちーちゃん先生はスーパーに向かって、ブロックべいをひょいっと飛び越えました。今度は散歩をしていた黒いチワワの目が白くなりました。ちーちゃん先生は「えへへ」と照れ笑い。チワワと飼い主は不思議そうに首をかしげています。

 今晩のちーちゃん先生の家のご飯は、サラダに納豆、それにお魚。少し時間はかかっても、おうちでしなくていいようにお魚はきちんとさばいてもらいます。

  ちーちゃん先生のお買い物は
  わくわく楽しいお買い物
  いろんなお店をくるくる回り
  うきうき嬉しいお買い物
  ちょっぴり時間は過ぎたけど
  きらきら優しいお買い物

 お買い物が終わって、ちーちゃん先生は少しおなかが空いてきました。
「えへへ、もうひとくちだけ!」
 まわりをきょろきょろ見渡して買い物かごをゴソゴソします。
「あれれれぇ、メロンパンはどこ?」
 ちーちゃん先生はあわててメロンパンを探しました。でも、どこにもありません。スーパーの中をくるりと見回りました。でも、どこにもありません。それから来た道を戻ってみました。でも、どこにもありません。

  しかたなく、ちーちゃん先生はもう一度焼きたてパンのお店に行くことにしました。

 スカートのすそをうんと持ち上げて、ちーちゃん先生がブロックべいを飛び越えようとした、そのとき。へいの向こうから声がしました。
「おや、千里先生?」   
「あ、クマ吉……じゃない、熊田先生!」
 あわててあだ名を言ってしまい、ちーちゃん先生は真っ赤になりました。
「いいよいいよ、クマ吉で。それよりね、あそこのパン、とってもおいしいよ。たくさん買ったんだけど、おひとつどう?」
「わあ、ありがとうございます」
「いえいえどういたしまして。ところで千里先生、まさか、このブロックべいを飛び越えようなんてこと考えていませんよね?」  
「そんなこと、……えへへ」
 ちーちゃん先生は耳まで真っ赤になって慌ててスカートのすそを直しました。見ていたクマ吉先生も同じように真っ赤な顔になりました。

「おやおや? メロンパンの紙袋!」
 クマ吉先生を見送ったあと、ちーちゃん先生は足もとに転がっている紙包みに気が付きました。「なあんだ。どうやら、へいを飛び越えたときに落っことしたみたい」

 夕暮れが近づいて少し暗くて見えにくいけれど、メロンパンはきちんと紙に包まれています。ちーちゃん先生はほっとしました。

 ところが、何か変です。
「あれれ? 何か中に……」
 紙包みを拾って、中をのぞいて見てみたら……見たら、みたら……。

 あああぁぁぁ、あらまあ!
 メロンパンに、ぎっしり!
 あああぁぁぁ、ありんこ!

「キャーァァァぁぁぁあああ!!」
 ちーちゃん先生は大きな悲鳴を上げてメロンパンを放り投げてしまいました。

 その日の夜、ちーちゃん先生の夢の中にありんこの大群が次から次へと現れてきました。頭の中にありんこの大群が次から次へと押し寄せてきます。

 翌朝、ちーちゃん先生はびっしょりと汗をかいて目が覚めました。
(どうしよう。あのメロンパン、ずっとあそこにあるのかな)

 シャワーを浴びて朝の仕度をして、ちーちゃん先生は遅刻すれすれで学校に着きました。
 ちーちゃん先生の様子を見ていた子どもたちが心配して声をかけてきました。
「ちーちゃん先生、今日はいつもより学校に来るのが遅かったね」
「なんだか疲れているみたいだよ」
「いつもはもっと早いのに、なにかあったの?」

「えへへ。今日は少し、お寝坊しちゃったのよ」
 ちーちゃん先生は子どもたちに昨日のメロンパンのこととありんこの大群の夢のことを話しました。
「先生ね、ありんこみたいな虫とかが、ぜんぜんダメなの」
 子どもたちは少し考えてから次々にしゃべり出しました。
「ありんこ、とってもかわいいよ」
「そうそう、それに働きものだし」
「仲間もいっぱいでみんな仲良し」
「クマ吉先生も教室で飼ってるよ」
 へええ、そうなの、そうなんだ……。

 ちーちゃん先生は子どもたちがありんこにとても詳しいことを知って驚きました。それにクマ吉先生のことも。
「でもね、夢でありんこの大群を見て……やっぱり、ありんこがこわいのよ」
「ふうん……」

 女の子のひとりが、あっと気付いて、にっこり笑って言いました。
「ありんこさんたちね、きっとお礼を言いたかったのよ。メロンパンがとってもおいしかったから、先生の夢の中にお礼を言いに来たのよ」
「うん、きっとそうよ! ね、みんな」
「うん。くま吉先生のくれたメロンパン、クラスのみんなで食べたらとってもおいしかったよ!」
「うん、うん、おいしかったよ!」

 ああ、そうなの、そうなんだ!
「ありんこさんたち、私のところにお礼を言いに来てくれたの?」
 ちーちゃん先生はもう一度、夢の様子を思い浮かべました。すると確かにありんこたちがお礼を言っているようでした。
 夢の中のありんこたちが、躍りながら次から次へとやってきては、次から次へとお礼を言っています。

  おいしいパンを、ありがとう
  大事に大事にとっても大事に
  みんなでしまっておくからね
  大事に大事にとっても大事に
  みんなで仲良く食べるからね
  おいしいパンを、ありがとう

 ちーちゃん先生は子どもたちに教えられ、少しだけありんこのことが好きになった気がします。

「アリたちはね、もうじき冬がやって来るから、その前に食べ物をたーんとたくわえておきたいのさ」
「あ、クマ吉先生!」
 いつの間にかまん丸顔のクマ吉先生も生徒にまじってにこにこ顔でちーちゃん先生の話を聞いていたのです。
 ちーちゃん先生は思わず顔を赤くしました。
「あれぇ、ちーちゃん先生、どうしたの?」
  子どもたちに聞かれて、ちーちゃん先生は耳まで真っ赤になりました。

 何日かたって、ちーちゃん先生はいつものようにスーパーへ夕食のお買い物に行きました。
 駐車場の片隅にあめ玉がころがっています。そこにありんこが列を作って次から次へとやってきています。
 ちーちゃん先生は最初、こわごわとありんこたちを見ていましたが、見ているうちにだんだんとありんこたちの行列に引き込まれていきました。
 ありんこたちはみんなで協力して働いています。汗をかきかき、一生懸命がんばっています。とってもうれしそうに、なにやら話をしているようです。
(あめ玉おいしいね)
(メロンパンもおいしかったね)
 まわりを見ると、メロンパンはもう、どこにもありません。

 冬が近づいて少し肌寒くなってきたけれど、ちーちゃん先生はほんわかと暖かい気持ちになりました。

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