童話

『お花畑のわすれもの』

図書館のカウンターの上に小さなハンカチが置いてあります。
だれかのわすれもの?
白い布に黄色い花のししゅうの付いたあまい香りのハンカチです。のんびり見ているとお花畑にいるような気持ちになります。

ミコは小学校の図書館で放課後の貸し出し係をしています。
このところ当番はミコひとりです。いつもなら友だちのアミもいっしょなのですが、ちょっとしたことで言い合いになって、アミは当番を休んでいるのです。
当番が休みのときは代わりの人が手伝うことになっています。けれど、担当の先生から「ミコちゃんは6年生だからだいじょうぶね」と言われ、ミコはつい「だいじょうぶ」と言ってしまいました。
今はミコのほかにだれもいません。ミコはお花畑のあまい香りに囲まれながら、しばらくハンカチを見つめていました。

窓の外からひらひらと一匹の黒いチョウが迷いこんできました。ところが、近くに舞いおりたと思ったとたん、チョウの姿は見えなくなりました。
あれ、どこに行ったのかな?
ミコはカウンターのまわりを探しました。すると、どこからともなく何か聞こえてきます。
「・・・・・・」
だれかがどこかで何か話しているようです。けれど、小さくてうまく聞きとれません。カウンターの下やとなりの本だなものぞいてみました。けれど、どこにもだれも見当たりません。
「きっと気のせいね。ちょっと疲れているのかしら」
ミコはふたたびイスに座り直しました。

それから少したって、こんどは白いチョウが飛んできました。
「ええっと、たしか、ここらあたりだよな」
今度はミコにもはっきりと聞こえる声です。ミコは驚いて顔を上げて自分の目を疑いました。
なんと、ハンカチの中に白いチョウがすぅっと吸いこまれていったのです。
いつもならアミがとなりにいて「ねぇねぇ、今のなに?」なんて言ってくれるけれど、今はいません。
ミコは不安になりました。
先生に「ひとりでだいじょうぶ」と言ったけれど、ほんとうは泣き出しそうです。

しばらくして遠くから小さな音が聞こえてきました。小さな虫の小さな羽の音です。
音は近づくにつれてだんだんと大きくなりました。
(スズメバチやクマンバチだったらどうしよう)
ミコは一度カウンターの下にかくれました。それからおそるおそる顔を出しました。
近づいてきた虫は黒と黄色のしま模様です。でも、それほど大きな虫ではなさそうです。
よく見るとそれはミツバチでした。大きなハチは苦手ですがミツバチはそんなにこわくありません。簡単には人を刺さないことも知っています。ミコはしばらくミツバチを観察しました。

ミツバチは「8の字」を描いてカウンターの上を飛んでいます。どうやらハンカチに付いた花のししゅうを気にしているようです。
ミツバチからはあまくて優しいとてもいい香りがしてきます。体もふわふわと浮いたように感じます。ミコは気持ちがよくて眠ってしまいそうです。
「いけない。図書当番なのにいねむりしちゃいそうだわ」
ミコは大きく背伸びをしました。すると大きなあくびが出ました。あくびとともにポロリと涙もこぼれました。
「あくびをすると涙が出てくるのはどうして?」
心にしまいこんだ涙は知らないうちにあふれ出ます。ミコは小指で涙をそっと拭い、静かに目をとじました。

目をあけるとあたりは明るい光に包まれていました。
ミコはおどろいてまわりを見わたしました。ここはお花畑です。どうやらミコはハンカチのお花畑に吸いこまれてしまったようです。
少しはなれたところに白いコートを着た少年が立っています。
少年はミコに気がつくと手を振りました。
「やあ、キミの名はミコだね」
「ええ、わたしはミコよ。あなたはだれ?」
「ぼくの名前はコロ。キミの心だよ」
「え、わたしの心って? どういうこと?」
「キミは友だちとうまくいかないことを悩んでいて自分ではどうしようもできないでいる。ぼくたちはそんなキミたちを救うために、こうやって働いているのさ」

ミコは少し腹を立てて言いました。
「なによ、どうしてわたしのことが分かるのよ!」
「だからね、ぼくはキミの心なんだよ」
「言っている意味が分からないわ。だいいち、ここはどこなの?」
コロはうでを組んで答えました。
「ここはね、深層心理界だよ」
「シンソウシンリカイ? なにそれ」
「深層心理界というのはね、心のなかでほかの人とつながっている世界だよ。言ってみれば無意識の世界のこと。表層現実界の反対の世界だよ」
「ヒョウソウゲンジツカイ?」
「そう、キミが起きて意識のあるときの世界のことを表層現実界って言うんだ。それでね、キミに大切な話があるんだ。これを見て」
コロはポケットから小さなケースを取り出してミコに見せました。
「これは、アミちゃんの心を映すセンサーなんだ」
ケースのなかはまっ黒でした。
「え、アミのことを知ってるの?」
コロの口からアミの名前が出てきたのでミコはおどろきました。
「うん。アミちゃんの心はロコって言うんだけれど、黒いヤミに包まれてたいへんなことになっている」
ミコはアミのことを考えているうちにだんだんと胸が苦しくなってきました。
「どうしてすなおになれないの」
ほんとうはアミと仲直りして前みたいにいっしょに話をしたいと思っていました。
コロも苦しそうに顔をゆがめながら、ぐっと力を入れ直して大きな声で叫びました。
「このままではまわりの世界も巻きこんでヤミに消えてしまう。早くロコを探さなきゃ!」
その声が聞こえたのか、どこからともなくミツバチが飛んできました。ミツバチはミコの頭の上にやってくると大きく「8の字」を描き始めました。あまくて優しい香りがミコを包みます。
ふと、ミコはさっき見た黒いチョウのことを思い出しました。
「もしかして、あの黒いチョウ?」
ミコが黒いチョウのことを話し始めると、少し離れたあたりがしだいに光りはじめました。
「そうだよ! ミコちゃん、よく話してくれたね」
コロの顔に笑顔がもどりました。
「アミちゃんの気持ちが沈んでロコはみるみる黒くなったんだ。助けようとしてやっとここまで追いかけてきたんだけど、ぼくでは探し出せなかったんだ」
「ということは、あの白いチョウがコロだったの?」
ミコはこれまでのことを思い出しながら、だんだんと様子が分かってきました。
「あのミツバチは?」
「ああ、セラピストのミーチャだよ。彼女の持っているローヤルゼリーっていう、まほうのはちみつが今回の決め手さ」
ミーチャが現れてから気分がよくなったことをミコも思い出しました。
「ミーチャはいやしのまほうが使える。ロコを助けるにはミコちゃんの協力がいるからミコちゃんにまほうをかけてもらった。黙っててゴメン!」
そのときコロの背中が見えて、ミコは思わず「あっ!」と声をあげました。なんと、コロの背中も黒くなりかけていたのです。

そこへロコを連れたミーチャが戻ってやさしくほほえみました。
「だいじょうぶですよ。もうあなたたちの気持ちはひとつになりました」
ミーチャのことばのとおり、コロの背中の黒い色は少しずつ薄くなり、ロコももとの白い色に戻りました。もうだいじょうぶです。みんな笑顔になりました。

こんなことがあっつから、ミコとアミは前よりもずっと仲良しになりました。今日も二人は元気に図書館の当番をしています。
ふたりはハンカチのあまくて優しい香りにつつまれてとても幸せそうです。

さて、このハンカチはだれのわすれものだったのでしょう。ひょっとするとコロからミコへの贈り物だったのかもしれません。

あれあれ? 窓の外に同じようなハンカチが飛んでいます。
あのハンカチはいったいどこに行くのでしょうね。

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